坂井泉水さんとの最後の対面をアートディレクターの鈴木謙一氏は今も忘れられない。
 
  2007年5月25日、坂井さんはがんの治療で入院していた東京信濃町にある慶應義塾大学病院のスロープから転落。脳挫傷で昏睡(こんすい)状態となった。その死の直前の病室を、鈴木さんは他の幹部スタッフとともに見舞いに訪れている。
 
 「まだ手はあたたかかったんですけど、すでに意識がなくて……」
 
  鈴木氏の脳裏には坂井さんとの数々の思い出がよみがえった。
 
 「人間ってこんなにたくさんの涙が出てくるんだと思うほど、ぬぐってもぬぐっても涙があふれてきました」
 
  鈴木氏が坂井さんと最後に言葉を交わしたのは、その3週間ほど前で、肺にがんが転移したことがわかり、抗がん剤治療を行っていた頃だったそうだ。
 
 「最後に言葉を交わしたのは電話だったんです。おそらく治療の前だったんだと思うんですけど、すごくそれが怖いんだっていう話を聞きました。僕もその3年前にガンという病気を患っていたことがあり、当時坂井さんも心配してくださっていたんですが……『私、怖いんです』と仰ったその気持ちがよくわかるというか……。治療をしていく中で不安や恐怖に襲われることはどうしてもあって、その時は何も言葉をかけることができませんでした」
 
  亡くなる2日前、総合プロデューサーの長戸大幸氏との電話では退院後のレコーディングを楽しみにしている様子だったという。だからこそ鈴木氏も、坂井さんとの別れが来ることなど考えてもいなかった。
 
  その後、坂井さん逝去の連絡を受けたことや葬儀など、その時期のことは鈴木氏の記憶からすっぽりと失われている。
 
  鈴木氏が坂井さんと出会ったのは1991年。所属するレコード会社、ビーイングの所有するレコーディングスタジオ、スタジオ・バードマンで、長戸プロデューサーに紹介された。坂井さんは普段着で、髪をポニーテイルに結っていた。[[シアリス 通販>http://www.edchiryouyaku.net/shiarisu20]]彼女はZARDとしてデビューする直前。鈴木氏はデザイナーとして入社したばかり。
 
 「きれいでしたね。どきっとするほどの透明感があったことを覚えています」
 
  2度目に会ったのもバードマン。デビューシングルの「Good−bye My Loneliness」のレコーディングだった。鈴木氏はZARDの制作スタッフとして、CDジャケットや宣伝用の写真やポスターなど、ビジュアルを担当することが決まっていた。
 
  この時から、坂井さんが亡くなる2007年まで、そして逝去後の作品でも、鈴木氏はZARDのアートワーク全般を受け持つことになる。
 
 「このままの状態で撮影してくれ」
 
  スタジオでの長戸氏からの指示に、鈴木氏はとまどった。
 
 「レコーディングの真っ最中。[[威哥王>http://www.strong-one.net/seiryokuzai-52.html]]歌詞カードや譜面や飲みかけの缶コーヒーがテーブルの上に煩雑に置かれていました。僕が片付けようとすると、長戸プロデューサーに、止められました。坂井さんは自前の服にすっぴん。シャツの上に、たまたまスタジオの雰囲気に合うということでお貸しした僕の革ジャンをはおっての撮影です。とはいえ、プロのカメラマンもいません。撮影が得意なカメラ好きの社員がシャッターを切りました」

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